「麻尻(あさじり)大豆講習会レポート」  著 藤木哲朗

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『地域在来野菜の伝統的活用と新たな創造に向けて』 主催:宮崎公立大学
「麻尻(あさじり)大豆講習会レポート」  著 藤木哲朗

6月5日に開催されました、麻尻大豆講習会(主催 宮崎公立大学:会場 むすびカフェ千人の蔵)、公立大学 永松敦教授をコーディネーターに、講師陣、参加者とともに、麻尻大豆の継承の歴史や、これからの在り方を感じさせてくれる、とても示唆に富んだ、素晴らしい会でありました。講演の後には、むすびカフェ千人の蔵の、麻尻大豆を使った料理が並び、みんなで食事をしながら楽しい懇談がありました。

麻尻大豆は、高千穂地方の地大豆で、麻が植えられたあとの畑で栽培されていたことから、麻のあと、という意味から、麻尻大豆と呼ばれてきました。7月からお盆のころまでに種まきが行われる晩生の大豆で、小粒です。町内の80代の方々に話を聞けば、その名がでてくる大豆ですが、数年前には、岩戸川の上流、土呂久集落の佐藤慎市さん、マリ子さん夫婦だけが種を継承する、とても貴重な種となりました。

現在では、町内、上川登集落の興梠哲男さんをはじめ、西臼杵郡内に数名の生産者があり、また、宮崎市清武町の「ここく」(代表 加藤潤一さん)が、大豆の生産から、味噌の製造、販売を手掛けるなど、種の継承が広がりました。

興梠さんの栽培された大豆は、むすびカフェ千人の蔵の料理や、延岡市にあるお菓子の虎屋で「ひなた饅頭」として販売されており、近く、高千穂神社の御神饌の羊羹にも使われる予定です。

会の内容としては、永松教授が進める、その地域にある作物をその地域で語る必要性、見た目や味の統一性ではない、それぞれの作物の持つ個性を活かした産物づくりや、在来野菜の定義づけ、その意義が語られました。

講師からは、藤木哲朗(筆者)から、佐藤慎市さん、マリ子さんの紹介があり、種の継承の今を説明しました。また、マリ子さんの方から、その種は、土呂久の人や動物、自然をも傷つけた、土呂久鉱毒の時代の中でも、大切に継承されてきた種で、隣の家のおばあちゃんから分けていただいたものだということでした。慎市さんは、その種がどこにもなくなることを感じていて、買えるものではないからと、今まで大切に育ててきました。そして今、たった一軒で繋いできた種が、数件の種の継承者ができ、ほっとしているところでもあるようでした。

また、藤木の方から、麻尻大豆の歴史をさかのぼることで、例えば阿蘇地方にある「みさお大豆」のように、小粒の大豆の遺伝子が同じものであれば、それが入ってきた歴史が、文化や交流の歴史をも遡れる可能性があるのではないか?という、可能性の示唆。 高千穂のおばあさんに聞いた、昔の高千穂の女性は、葬式があるとまず大豆を水につけ、それで豆腐を作り、さらに「煮しめ」をつくった話など、暮らしにおける大豆や、食糧としての保存の優位性、先人が食べること、生きる上で、大豆のおかげで、高千穂の暮らしが継承されてきたのではないかという感想を述べました。

麻尻大豆の他にも、違う品種の大豆があったのではないかという意見には、講師で生産者の興梠哲男さんから、麦の収穫の後で栽培された、「麦尻大豆」があったという答えがありました。

興梠さんからは、主に栽培について語られ、栽培もさることながら、大変なのはむしろ、その後の選別にかかる苦労が語られました。今は、哲男さんの80代のお母さんが、何日もかけて手作業で選別しています。しかし、それを誰かに頼んでお金を支払えば、それだけで赤字になる現実があります。栽培については、麻尻大豆における自然界での生存手段としての、意図的な成長の不揃い、発芽のずれなどが指摘され、このことにより変化に富んだ自然界の中でも種を存続させていくことができ、それが人間の都合により画一化されることで、種が途絶えてしまう危険性があるのではないか、という意見がありました。

実際に、興梠さんは、米苗づくりのスペシャリストで、失敗した電話の相談を聞いてみると、大抵、種の植え付けを同日、翌日の間に済ませた方が多いそうです。

別の話になりますが、興梠さんが一点気にされているのは、高千穂の農業の歴史の中で、あれがいい、これがいいと、お金になるからと皆が一つの作物を作り始めることで、生産過剰になり、価格が下落し、生産意欲が失われ、辞めてしまう、そういうことがあるそうで、麻尻大豆はそうなってほしくないという感想がありました。

それに対して、永松教授も、紳士協定で守られているうちはいいが、どこかで麻尻大豆の定義づけや、取り決めをする必要があるのではないかという意見がありました。

佐藤慎市さんの集落では、種を一人占めするものではないという話が伝えられ、譲った種をまいて、豊作であれば倍にして返すという約束があったそうです。実際に、ここくの加藤潤一さんも、そうして佐藤さんに種を返したそうです。

最後に高千穂神社の後藤宮司からは、日本神話と、国防意識の低さがお話しされました。日本神話の国家創生は、ニニギノミコトが種もみをまいてはじまる、稲作伝播の物語でもあり、農業の神話でもあります。ここ、高千穂はまさにその神話の里でもありますし、棚田の景観が美しい里です。

日本の国防意識の低さは、現在の農業の置かれている状況に、如実に表れています。宮司が、フィリピンに行った時のこと、フィリピンには100を超える稲の種があるそうですが、それがもしものときのために、大切に保管されているのだそうです。また、フィリピン国内だけではなく、スイスにも保管されているのだそうです。アメリカでも、4万種を超える種が、保管されているとか、そんな中で、日本では種子法の廃止です。

宮司は、農政に詳しい、元県会議員や、県出身の国会議員事務所に電話し、その内容を確認したそうですが、一言でいえば、縛りをなくして企業が動きやすいようにとのグローバリゼェーションの流れ。いくつかの付帯決議があり、農協も賛成してのことなので自民党も進めたのでしょうが、それにしても不安が拭えない内容のようです。参加者からも、疑問の声多々でした。

種を継承する方法として、佐藤マリ子さんからは、バングラデシュにおけるシードバンクの取り組みも、紹介されました。彼の国では、1970年代の緑の革命により、それまで育てられた作物から、収量増大のために、それまで作られてこなかった新しい種がもちこまれたそうです。ところがそれを育てるためには、化学肥料が必要で、それを購入しなければならず、また、乾季でも米の栽培ができるようにと、地下水のくみ上げが行われ、そのことが原因ではないかと思われる、井戸水の砒素汚染が深刻化し、農業によって豊かになるはずの農家が、逆に貧しくなりました。

特に、それまで種を守ることを仕事としてきた女性の地位が著しく低下したそうです。そこで、その別の流れとして、シードバンクという、ちょうど千人の蔵のような広さの蔵に、種を保管し、無償でそれを分け与える、豊作であれば土呂久と同じように倍返し、失敗すれば、その失敗を共有するという仕組みを女性たちがつくったとのことでした。

会が進んでいく中で、経済社会における麻尻大豆と、それとは別の、農村社会における麻尻大豆、その価値の違いが際立ってきました。今回は、生産者側、農村側の参加者が多かったのもありますが、暮らしの中で麻尻大豆を使うことで種を継承し、守っていきたいとの結論も一つ垣間見れました、もちろん、農村と言えども経済社会の中にありますので、麻尻大豆の利用により、収入にむすびつける前提もあります。参加した、地元の農家さんからは、栽培したいとの声もあがりました。

食事と合わせて、2時間ほどの会でしたが、それぞれの立場から、麻尻大豆の継承の歴史や、思いを共有でき、これから発展していく可能性を感じられました。これも、継承された種があってこそです。大事にしていきたいと思いました。

この在来野菜の講習会は、全12回です。次は、7月1日に延岡市、お菓子の虎屋で、「内藤とうがらし」について、語られます。次回も、素晴らしい会になることだと思います。参加者募集中です。多くの人が在来野菜、農業に関心を持つきっかけになればと思います。

宮崎公立大学 地域在来野菜の伝統的活用と新たな創造に向けて(講習会のご案内)
http://www.miyazaki-mu.ac.jp/info/community/post_297.html